7年半使わせていただいた百貨店の売場が今日をもって閉店いたします。2週間、仮店舗で過ごしたのち、8月7日リニューアルオープンとなります。
内装も随分と痛んできたので改装してくださるのは大変ありがたい話です。また、リニューアル後はお客様の目につきやすい位置になります。ただ逆に今までのようにじっくりと相談におこたえすることが難しくなるかもしれません。
商売効率だけを考えれば良いことづくめ(そのための改装でしょう)なのですが、「誰かに相談したい」というご要望からは少し遠くなるかもしれません。ま、私どもの会社からすればそのため「仏教サロン」を作ったことですし、百貨店内では大いに商売に励ませていただくことにいたします。

最後に記念撮影をしました。
「今、お電話よろしいでしょうか?」
こう断りを入れるのが携帯電話に掛ける時のマナーであると思っていました。昨夜このことで住職から指摘を受けました。
「電話を受けたということは、通話OKという意思表示じゃないの? 都合が悪ければ受けない(通話できないメッセージを流す)だろうよ」
ごもっともです。その通りです。
昨今、百貨店のお客様も連絡先として携帯電話をご指定なさるケースが増えています。
「今、お電話よろしいでしょうか?」
お断りしないで用件を切り出す勇気はありません。でも住職みたいなお考えのお客様がいらしたらどうしましょう?その時はその時としましょうか・・・。
大阪が本音の街だからのような気がします。
「暑いものはアツイねん!」
と、正直に言える、いや、正直になれる街のように思います。着飾って、取り繕って、無理して、そんなものとは無縁の街、それが大阪のような気がします。
東京はたしかに緑が多いのでしょう。でも、それは作りものの緑です。大阪もコンクリートとアスファルトで覆われています。自然などありません。でも、人々は自然なまま生きているような気がします。
「大阪は活気がなくなった」
などという大阪人は、東京化すること=活気と勘違いしているようです。
大阪の街は、今年も「熱い」のです。
嫌なものから目をそむけても事態は変わりません。当たり前のことですが、わかっている人は少ないだろうと思います。
最近、忘れ物をすることが多くなりました。また、探し物も同様です。「ここに置いたはず・・・」とイライラして物にあたっても探し物は自ら「ココです」とは名乗り出てくれません。いや、ひょっとしたら「早く見つけてよ」とサインを出しているのかもしれません。それを見ないようにしている自分がいるだけかもしれません。
大事な身内が亡くなったことが受け入れなれないで苦しんでいる人がいます。私は職業柄、数多くのそういう人々を見てきました。ケアすべきお坊さんも、成す術がなく、お経だけ読んだら「では・・・」と腰を上げます。
そういう人々が毎日大量に発生しているようです。そのうちの一人。ある女性がもうすぐ私のもとにやってくると思います。
九重親方のような「強靭な」精神の持ち主はそう多くはいないでしょう。だから、我々は仏さまにすがるしかありません。南無阿弥陀仏。
浴衣姿のお嬢さんをよくみかけます。百貨店などが懸命にPRしてきた効果だろうと思います。浴衣はある程度丸みのある体系の人が似合います。細見の女性が来ていると「お店用?」などと思ってしまいます。
和服は、腰回りが「しっかり」していないとなんともサマになりません。和服をきちんと着こなす女性ほど美しいものはないと思います。洋服もいいですが、「和の美」も受け継いでいきましょうよ。
仏教徒なら誰もが知る五戒の一つであります。他に「殺してはいけない」「盗んではいけない」「邪な性交はいけない」「酒を飲んではいけない」があります。
先日の東本願寺のプチ修行で興味深い体験をしました。
キレイに清掃された大部屋に一匹のゴキブリが現れました。しかし、その部屋にいた大多数の人は仏教徒です。一匹のゴキブリごときで騒ぐようなことはありません。窓の外にでも出してやろうかと思ったその時です。
一人の補導(合宿にやってくる人にインフォメーションしてくれる人)さんが、私にティッシュの束を渡しました。
「殺していいのですか?」
その補導さんは私の問いには答えず「ナムアミダブ・・・」と合掌しました。その補導さんの「願」とゴキブリの「命」を天秤にかけた私は、ティッシュでゴキブリを捕まえました。致命傷を負わせないように力を加減するのは難しいので一気に指に力を入れました。
そのゴキブリは東本願寺で生まれ育ったのでしょうか?あるいは他所からやってきたのでしょうか?
いずれにしても東本願寺の境内で「命終(みょうじゅう)」となりました。もっとも、ゴキブリにとっては、東本願寺だろうが一般家庭の台所だろうが関係ないことでしょう。ただ、一つ言えることは人間の目に触れると即「死刑」が宣告されるということです。
我々は偽善の中で生きているかのようです。
注)補導さんとしましたが、「ある人」というくらいの意味です。大多数の人に置き換えることができるはずです。
どんなにがんばっても「レッテル」を全く貼らずに他人を見ることができません。他人と意識することがすでに「レッテル」なんでしょう。同じ物なのにそれを見る角度によって違う物に見えてしまいます。見る角度とは自分の心の動きなんでしょうか?
では、心の動きを制御できるように訓練すれば良いのでしょうか?あるいは、制御できないでいる自分を自覚すれば良いのでしょうか?
いずれにしても気が遠くなるくらいの問題です。
でも、それらに目をそむけてはいけないと思っています。しっかりと目を見開いて「あるがまま」の姿を見るように。それは「願い」といえるかもしれません。
先日、このブログに「ウナギ偽装で名前のあがっている中谷社長とは、ウチの本棚に著書がたくさんある中谷氏と同一人物か?」と書き込みしました。
昨日、仏教サロンに知人のお坊さんが来られ、
「全くの別人だよ」
と教えてくださいました。それをわざわざ言いに来て下さった訳ではないでしょうが、
「ブログにコメントしようと思ってもIDがないと出来ないんだよね」と少々ご立腹でした。
「イザ!」というサイトが、産経新聞社が主体であることやら、記者にコメントして返信がくることなどを説明すると興味深そうでした。
「三浦さんのブログは、やたらと産経新聞記事にリンクしていると思ったらそういうことか」
と納得してくれたようでした。
昨年も行きましたが、本日今から京都・東本願寺へプチ修行に行って参ります。あいにくの雨模様ですが、京都駅から地下道で目の前まで行けます。便利なものです。
京都というのは、独特の雰囲気があります。歴史を感じます。「日々の喧騒から離れ心静かに・・・」といきたいところですが、京都駅は近代的な建物で、東京系のデパートが併設されています。
京都へ行く度に思うのですが、街全体が巨大なテーマパークかと思ってしまいます。観光化が進んでいるからでしょう。再々書きますが、日本人の原点は「大和」だと思います。
JR大和路線の線路沿いに住んでいる私は、毎日「大和」とは反対向きに仕事場へ向かいます。しかし、朝日の昇る生駒山の向こうに「大和」を感じ、夕日の沈む大阪湾方向に「極楽浄土」を感じます。
それは、今日のように雨の日でも同じです。
時間がきましたのでとにかく行ってきます。
相撲には全く無知な私です。前から素朴な疑問がありました。現役力士は和服なのに、なぜ親方は洋装なんでしょうか?
大きな体に背広姿はサマになりません。和装が一番だと思うのですが、特に夏場はそうでしょう。


by 三浦のり
嘘をついてはいけない